2010年02月06日

ペリリュー島へ

コロール在住のボランティア隊員といっしょにペリリュー(Peleliu)島に行ってきました。
ペリリュー島には同期隊員も派遣されているので、以前から行きたいと思っていたがなかなか行けず、延び延びになっていたのですが今回やっと実現しました。

ペリリューへはコロールのマラカル島の波止場からステートボート(StateBoat)と呼ばれる定期船が毎日(土曜日を除く)出ています。

お昼過ぎにFisheriesと呼ばれる波止場に集合してステートボートに乗船。普段ダイビングとかに行く時に乗るスピードボートと違って小型のフェリーのよう。
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ステートボート(意外とデカく車も積める)

ロックアイランドの美しい島影を左手に見ながら一路ペリリューへ。
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3時間かかってようやくペリリュー島の北波止場(North Dock)に到着。
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ペリリュー島北波止場(North Dock)

ペリリュー島は約13平方キロとコロール島とほぼ同じ面積ながら人口はコロールの10分の1以下の約700人ほど。上陸するとコロールとは違ってとてもゆったりとした雰囲気。通行人もみんな挨拶してくれ、どちらかといえばマルキョクなどバベルダオブ島の集落に近くとても静かな時間の流れを感じます。
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ペリリューのメインストリート

この日はちょうどペリリュー隊員の誕生日だったので彼女のステイ先(ホテル)でみんなでお祝いをしました。
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ホテル

翌日、朝からさっそく島内探索に出発。
ペリリュー島は大東亜戦争末期(1944年9月〜11月)にこの島をめぐって日米両軍の激戦が行われ、当時の激戦の様子を伝える戦跡が今もなお数多く残されています。
今回も島内の戦跡めぐりが中心のツアーになりました。
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ペリリュー探索ワゴン

最初に訪れたのは戦争博物館
当時の燃料倉庫、弾薬庫、野戦病院などいろいろな説がありますが、いずれにしても激しい艦砲射撃や銃撃戦を経て残った建物をそのまま利用した雰囲気のある博物館です。爆撃で破壊された部分はガラスを入れて窓として利用されていました。
日米両軍の激戦の地であることの証明に、資料館内の展示は半々に分かれていました。
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戦争博物館

その後旧日本軍の飛行場を通ってアメリカ軍が作ったペリリュー戦争のモニュメントへ。急な階段を上りきるとそこは360度ペリリュー全島が見渡せる展望台になっていました。
今はジャングルに覆われているこの島が、当時は砲撃によって木が焼けつくされた島だったことを思うと、60年という時間の流れを改めて感じます。
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展望台からの眺め

途中、アメリカ軍の水陸両用戦車と日本海軍の20センチ砲が放置されていました。この戦車の向かいには米軍の捕虜収容所があったそうです。
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戦車                 大砲

ペリリュー神社
日本の国家ではなく清流社という一右翼団体が戦後に建立したものだそうです。
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ペリリュー神社

ペリリュー島最南端にある平和記念公園
海をはさんでアンガウル島がすぐ先に見える。記念公園の中の慰霊碑はここから遥か北にある日本の方角を向いていました。
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平和記念公園

日本軍の司令部跡
風呂場、炊事場などもあり、どこか日本の昔の学校のような立派なつくり。建物には爆弾の落ちた跡や無数の銃痕が残っていました。
なにより、激しかったであろう艦砲射撃や空爆を受けてもこれだけ原型を保っていることに驚きました。
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日本軍司令部           爆撃の跡

一旦ホテルに戻った後、少し涼しくなったペリリューの街を今度は自転車で南波止場(South Dock)までサイクリングに出かけました。
途中オレンジビーチに寄ると、1〜2キロはありそうな広いビーチには他には誰もおらず辺りは静寂に包まれていました。
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静寂のオレンジビーチ

1944年9月15日、すでに制空権も制海権も有していたアメリカ軍の執拗な艦砲射撃や空爆が数日間に渡って続いた後、第1海兵師団を主力とする約28,000名がこのオレンジビーチを含めた西側の海岸から上陸したそうです。

島内に無数に作られた洞窟陣地で待ち受けていた日本軍守備隊による一斉射撃により、アメリカ軍上陸直後の水際での戦闘では凄惨を極め、戦死戦傷など損失率60%超という大損害を蒙った主力上陸部隊はいったん退却をして別の部隊に差し替えられるなど、アメリカ軍は今までの上陸作戦史上類を見ない損害を出したと言われています。

ここのビーチの砂を鑑定すると、なんといまだに米軍兵士の血が検出されるそうです。

ビーチの脇にはアメリカ軍の慰霊モニュメントが建てられていました。
以前はここはアメリカ兵の墓地になっていたそうですが、戦後すべて掘り返されハワイに移設されたそうで、現在は慰霊碑だけが残っていました。
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米軍慰霊モニュメント

ペリリュー以前の戦いでは太平洋の日本軍守備隊は、激しく抵抗するも組織的抵抗は比較的短期間で終わり最後は万歳突撃で玉砕していたといいます。
そのためアメリカはペリリュー島制圧も2〜3日から1週間程度で終結すると考えていたそうでしたが、アメリカ軍の第1海兵師団と第81歩兵師団を合わせた約48,000人に対して、日本軍の守備隊(約10,000人)は70日以上にも渡って抵抗を続け、結果1万人を超えるアメリカ軍の死傷者(戦闘損害比率4割)を出すという驚異的な戦果を残しました。

◆日本軍
戦死者10,695名

◆アメリカ軍(約48,000名)
戦死者2,336名
負傷者8,450名

先に訪れたペリリュー神社に当時のアメリカ海軍司令官ニミッツ総督の言葉が日米双方の言葉で残されていました。

諸国から訪れる旅人たちよ
この島を守るために日本軍兵士がいかに勇敢に愛国心をもって戦い
そして玉砕したかを伝えられよ

Tourists from every country who visit this island should be told how courageous and patriotic were the Japanese soldiers who all died defending this island.

米太平洋艦隊司令長官
C.W.ニミッツ
 
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ニミッツ総督の言葉

このペリリューでの組織的な抵抗はこの後の硫黄島の戦いにも活かされていったと言われています。

日本軍と聞けば略奪と暴虐の限りを尽くしたという考えが日本ではまだ根強いですが、実際にここペリリューで何があったのか、ここには命を賭して日本を守ろうとした人達がたくさん眠っています。
戦後、多くの日本人が忘れてしまった心がここペリリューにはあるような気がします。

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posted by yort at 23:30| Comment(5) | TrackBack(0) | パラオ生活 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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